その男鑑賞用につき~第2話、15年の大恋愛

大正生まれの大恋愛

今日は、祖父と祖母の大恋愛の話を書こうと思います。
いつまでも祖父、祖母という名称ではわかりにくいのでニックネームをつけようと思います。

ちゃんと大正の名前の一覧から、正治さん、夏子さん、とします。
正治さんはPDロマンス、夏子さんはPDアバンギャルドです。

祖母の時代は、女の子はお年頃になると、お行儀見習いに行きました。
特に夏子さんの家は、大工屋さんでしたので、15歳の年頃になった娘を、むさくるしい男たちの出入りする家に置いておくわけにもいかず、また、家もさほど裕福ではありませんでした。
幸い、夏子さんはたいそう美人であったため、ダンスの先生のお宅に、お行儀見習いに行くことになりました。

夏子さんは、そこで家政婦さんをしながら、バレエと日本舞踊を学び、ダンサーとして頑張っていました。

夏子さんは18歳になりました。うぶだった夏子さんは奔放な仲間たちに、
「いつまでも子どもね」と、クスクス笑われていたそうです。
信じられませんが、わたしの祖母の時代や母の時代のほうが、少なくともわたしよりかは、自由恋愛に積極的でした。
とくに、夏子さんは都会暮らしでしたし、ダンサーですから文明人との交流もあり、自由な恋愛観の持ち主でした。

出会いと恋

お客様にお見せできるほどのダンサーになった時、夏子さんは一人で衣装を買いに行くことが許されました。
そこで出会ったのが、縫子をしていた祖父、正治さんでした。

二人は強く惹かれ合いましたが、大きな問題がありました。
時代は昭和初期です。
そう、身分制度です。

正治さんは武家。夏子さんの家は商家です。妾には成れても、妻にはなれません。
二人は東京から九州に逃げました。駆け落ちしたのです。

駆け落ちしたあとは、お坊ちゃんだった正治さんを支えて、夏子さんが持ち前の商才で家計を支えました。貧しくても幸せだった数年間。5人の子どもにも恵まれ、生活も少しずつ豊かになってきたかに思われたその時、太平洋戦争が起きました。

元気な若者だった正治さんは、徴兵され、南の島で戦いました。
戦争中に6人目の子どもに恵まれましたが、戦争によって命を落としました。
夏子さんは苦労ばかりでしたが、正治さんは愛情深い人でした。

戦争が終わって、返ってきた正治さんが、真っ先にやったことは、身分制度のなくなった日本で、夏子さんと入籍することでした。(終戦は1945年、昭和20年)
出会ってから入籍するまで15年。わたしにはとうていまねのできないことです。
わたしは祖母、夏子さんのように、夫と5人もの子供たちを養う気骨は無いだろうし、15年も待てる根性もないことでしょう。
もちろん、夏子さんが逞しかったのは言うまでもありません。
働き者で、厳しく、気風のいい男前な女性でした。

恋愛に関しては、驚くほど一本筋の通ったロマンスタイプの男性

以前、祖父のことを、
「へなちょこだ、観賞用だ」と書きましたが、一人の女性に向ける愛情は一途で、魅力的だったことが解ります。
祖母が言っていたように、祖父はなんだかんだで、けっこう
「魅力的な男」だったのです。

恋愛に関しては、繊細で乙女のようで、だからこそ女の夢を叶えてくれます。

大正に生まれ育ち、昭和の大恋愛をした、小さな物語でした。おしまい。
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