似合って幸せになれる服と、好きで幸福感のある服は別物でどちらも大事

似合う服を6年間買い続けた感想

わたしはもう6年もの間、パーソナルデザインをほじくり返しながら、ず~ともやもやしていたんです。だって、もっと好きな服、着たいじゃないですか。そして、幸せにもなりたいじゃないですか。

好きな服とパーソナルデザインやパーソナルカラーが一致すれば幸せですが、一致しているわたしでさえも、違和感を感じることは多々あります。100%いつも大好きな服でとてもうれしいわけじゃないです。似合うほうの服、色で我慢するときもあります。

そして、自分でとても似合うと感じる服と、人から良く似合うと言われる服は違っています。

今日は、そこのところの違和感を言語化してみようと思います。

似合う服、と買ってうれしい服の定義の違い

似合う服って言うのは、補う服ですよ。自分に足りないところを補ってくれる服。誰しも完璧な美人ではありませんから、自分をよりよく見せてくれるデザインと色、それを似合うというのだと思います。

そして似合う服は、実際に自分を幸せにしてくれます。良い仕事に付けたり、良い結婚相手が見つかることもあるでしょう。それが、似合うの力です。

しかしながら、そんな幸せを手に入れながらも、違和感は付きまといます。なぜなら、そんな選び方をした服には、幸福感が欠けていることが多いからです。
もちろん、似合う、便利、ときめく、が完全一致する神服に出会うこともありますよ。クロゼットのエースって言うやつですね。

でもまあ、だいたいの場合、似合うと大好きは別物であることが多いです。まあまあ似合うしまあまあ好きって言う服ならたくさん見つかるけれども、あくまでもまあまあ。
その、まあまあの積み重なりを、6年間クロゼットに詰め込んできたわたしが言うんだけど、だんだんむなしくなってくるんですよね。

服は50点でよいって、実際に過去記事に書いていますしね。

でも、今はコロナ禍の影響もあって、
「50点の服はもう要らない」に舵を切った自分が居ます。実際に大好きな服以外を全部捨てて、オールシーズンで38枚だけのクロゼットになりました。
上記した、妥協した服は、もう全部いらないと結論を出しました。

ここで注意してほしいのが、わたしはもう、十分に幸せになったよ!という意味でもあるということです。もう十分に幸せならば、お洋服はえり好みして、超似合う、と、すごく好き、の一致したものだけ欲しいと思ってもいいんじゃないかなと、思い始めたんですね。

もちろん、これからもう少し欲しい幸せがある人は、ある程度似合う服に迎合する必要があるかもしれません。いや、あるでしょう。売れない歌手が、売れない作家が売れるために、一度は万人受けする作品を出すように、社会的に成功したいならば、いったんは似合う服を着るほうがいいに決まっています。

そこで仕事なり、結婚相手なり見つけたら、模索しながら好きな服に舵を切っていいんですよ。100%は無理でしょうが、これが自分なの!って言うのが受け入れてもらえるようになるからです。

さて、更新頻度は低くなるかもしれませんが、すごく似合ってすごく好きな服を、これからもコツコツ載せていきます。それから、これは好きで買った服、とか、これは似合う服、とコメントを付けたほうがいいなと思いました。

過去の記事はほとんど似合う服のお話しなので、個人差はあるものの、とんでもない方向違いというのはないはずなので、安心してご覧くださいね。

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